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Kihoku (2010)(10min)

by Amanda Belantara アマンダ・ベランタラ

-冒頭は音のみです。
-ヘッドフォンでのご鑑賞をおすすめしています。

■作品解説■ 

「紀北町か・・・」
2010年1月5日から28日にかけて、NPOア・ピース・オブ・コスモス(APOC)は
アメリカ人映像作家のアマンダ・ベランタラを三重県紀北町に招聘した。
アマンダ・ベランタラが制作において注目するのは"音"だ。
音を通して見慣れた景色を捉えることで、町の人々に再考を促す。
彼女は大学では文化人類学を学び、フィールドワークを行っていた。
そのため、その土地に住む人との対話を通して、その文化に迫る。
今回、滞在が1ヶ月と短かったこともあり、「紀北町の音風景」を一緒に考える
"協力者"になってもらえるよう、予め何人かの方にお願いをした。
最初の2週間は、それぞれの方に紀北町を案内してもらい、町を知ることに費やした。
インタビューも行い、生活体験から滲み出る紀北町の文化を探った。
その中で導かれた一つの方向性がある。
それは、多くの人が"神性"に言及することだ。
"信仰"としての神様ではなく、"生活習慣"に根付いた畏敬の念のことである。
日本人の宗教観として、自然や生活と不可分な曖昧さが挙げられるが、この地域
は明らかに他の地域と比べてそのウェイトが高い。
そういった「日常に潜む神様の音」を記述することができないだろうか?
ある日、観音様に日々ご飯をあげるおばあさんに遭遇した。
その様子はとても美しく、"神様の音"を記述するには不可欠な映像に思えた。
撮影をお願いしたが、信頼関係を築く前にあまりにもプライベートな部分に
踏み込んでしまったため、承諾を得ることができなかった。
制作において、理想通りに行かなかったことも多い。
この作品は完成作品ではない。にもかかわらず、一つの作品としての形を取った。
協力して頂いた方々への恩返しの思いも込めて。

「海がある程度怖い、気いつけてほしい」
・・・波の音を背景に、漁師に伝わる安全祈願のまじない、"つや"が発せられる。
漁師は漁に出る前、漁を始める時の二回、この言葉を口に出すかあるいは心の中で
唱えるという。
漁に先立ち行ったインタビューの中で、海(自然)に対する畏怖の念を感じ、
その語りを作品の冒頭に持ってきた。
海の映像が現れる瞬間、微かにお経の声が聞こえるだろうか。
八日薬師で録音した読経が、海原の映像を呼び込んでいる。
刻まれる竹の音は、地元小学生の太鼓集団"賀楽多"の練習の音だ。
神楽にまつわる音楽は、神性への畏敬を暗示している。
今回の作品を決定づけたのは、漁に同行させて頂いた経験と言える。
漁船から見る波立つ海、海から見る紀北町、全てが初めての経験だが、魚が
海面という境界を突破し、海(=自然=神の世界)から突如として私たちの
世界にやってくる光景は"生と死"を否応無しに考えさせる。
幻想的な音世界から一転して鳴り響く、網を巻き上げる機械の壮絶な音が、
それを象徴している。
今回の作品の中には出て来ないが、林業従事者の言葉で、山に入る時は決して
一人では入らずチームで入る、という言葉からも自然に対する畏敬の念を得た。
聞き取った河童の民話からも、水難を恐れる人々の知恵が伝わってきた。
直接出てこなくとも、彼女が滞在中に経験した感覚が映像で表現されている。

「長島ええとこ むっそうええ〜」
壮絶な経験の後、「長島音頭」によって映像は日常に引き戻される。
魚まち(漁師町)の昇降橋、ランドセルの鈴を鳴らしながらの通学風景、
お喋りを楽しみながら行われるそば打ち教室。紀北町の暮らしである。
包丁の動きが、海の波とオーバーラップし、舞台は再び海へと向かう。
町内放送は、山に反響して聞き取れないのが紀北町らしい。

「これするのがえらいんさな、毎日これの繰り返し・・・」
漁から戻ってきたえび網を直す作業を行っている女性の言葉だ。
日々繰り返される日常的な風景。そういった「特別でないもの」を追うことを
通して、アマンダはそこに住む人々と町との関わりを見いだそうとする。
作中では、繰り返される自然のサイクルという意味も含まれている。

「命の水」
祭りから一転して、熊野古道の語り部にいざなわれ、林の中に入る。
熊野古道といっても、その歴史は海と切り離して考えることはできない。
語りは魚まちにある「岩の壷」という沸き水についてだ。
台風で水源地がやられた時に、町の人々を救った水。
自然の恵みを慈しむ文化がここには残っている。
林の映像を合わせることで、山と水との関わりを示した。
自然は大きなサイクルであり、全てがつながっている。

「笛の音:黒潮」
ある日、古里海岸にあるコンクリートのトンネルの中で、音の反響が
素晴らしいことに気付いた。まわりに打ち寄せる波の音とも相まり、ハミングを
するだけでその響きは"神様を呼ぶ音"に聞こえた。
次の日、そこで横笛の演奏を頼んだ。曲のタイトルは「黒潮」。
黒潮の流れで南方から魚が熊野灘にやってきて、それを私たちは海の幸として
享受している。
黒潮、波、砂浜、コンクリート・・・
海を目の前に複雑に響き合う音に耳を澄ませていると、海が水蒸気に変わり、
それを自分が取り込み、全てがつながっているという感覚を得た。
音はそのものから離れて伝わる。
音を聞いている瞬間、私たちは世界とつながっているのだ。
それがアマンダが音に注目する一番の理由である。
実はそれは仏教の思想にも通じる。

「エンディングテーマ:海原を仰ぎ」
今回の滞在中に、アシスタント立花圭作曲の音楽がエンドクレジットと共に流れる。
エンドクレジットの"マンボウ"は、魚まちで活動を行う"魚まち歩観会"が
町歩きの際目印になるよう設置した陶板をお借りし、加工して制作した。
しっとりとエンディングを感じさせつつ、バックに子どもたちの凧揚げの
声を重ねることで、未来をイメージできる終わり方になっている。

今回の作品に使われている音は、全て紀北町で録音されたものだ。
長楽寺の鐘の音、風鈴の音、ヒノキ林が風で揺れる音、海女さんの磯笛、
エンジンを停めた後の船の音、船を繋留させるための金具の音、
子どもたちが凧揚げをする声、レストランにある貝のチャイム・・・

それらが幾重にも重ね合わせれ、アマンダが紀北町で得た感覚の再現を可能にしているのだ。

西田和美

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